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2022.01.06 (木)

「国」や「地域」、またはある特定の「場」(場所)には特有の「色」があると思う。景色の色というのも少し違っていて、空の色だったり土の色だったり植物の色だったりの色だけではなくて、匂いや音も景色に影響していて空気感も相まってそれは決まってくる気がする。共感覚(他の感覚が色としてとらえられる)というと特別の人がもっている能力のようだけど、実は多くの人に備わっていて知らず知らずに感覚として味わっているものなのかもしれない。
メキシコのルイス・バラガンの建物は原色に近いピンクや青や黄色を使っているのだけど、メキシコの空の色にとてもなじんでいて、派手なのだけど刺々しさなど感じない。配色のバランスが7対2.5対0.5のセオリー通りだからという人もいるけれど、バラガンの建物を日本に持ってきてもきっとなじまないだろう。イメージしてみても想像ができない。

北野武監督の映画の映像の配色を「キタノブルー」とヨーロッパで好評を得ていたのを記憶している。日本の海岸のさみしさが漂うような品のある青。日本色でいう浅黄色あたりの色かと勝手に思っているが、それも、日本の空気をはらんで表現できているものなのだろうと。

 

昔、カラーコーディネーターの勉強をしたことがあって、知識だけは少し残っている。ナチュラルハーモニーとコンプレックスハーモニーというのがある。ナチュラルは字のごとく自然に近い配色で、明るい色は黄色みが混じり、暗い色には青みが混じる。自然に降り注ぐ太陽の配色もそのようになっていることから、自然界に近づけた配色のことだ。逆にコンプレックスハーモニーは、あえて自然に反した配色で、複雑で意外性を楽しむような配色。ナチュラルハーモニーが落ち着いてるのに対して、コンプレックスハーモニーは意外性を楽しんでいる、アーティスティックな感じの雰囲気を演出できそれはそれでとても好きだ。

 

日本には、四季があり景色も季節ごとに様変わりする。春の新芽のいろ、梅雨の空、夏の青空と積乱雲と深い緑、秋の紅葉、冬の雪景色。色だけでなく、音や香り、空気の質感をも楽しむ日本の文化。日本人の繊細な感覚はこんなところから研ぎ澄まされているのだろう。

 

実は今見えている色。同じものを見ている隣人には違うように感じられているのでは?などと時々思う。隣の人と入れ替わることができないので、隣人が同じように感じているのかを確かめるすべもない。ゴッホは色盲だったので独特の配色になったとか?いや、見たものを見たまま再現しようとするのなら、普通の配色になってもおかしくない気がするが、それはもうゴッホにしかわからない話だ。

 

色には心理的な効果もある。暖色系は暖かく感じて寒色系は寒く感じるのは想像にたやすい。青は誠実さを感じさせ、時間の経過をゆっくりとさせ、精神を落ち着かせる。逆にオレンジは落ち着かず気がせくような効果があるり回転率が上がるとか?元気の出る色でもある。また、赤い下着は体温を高めることから皮膚でも色を感じるのではないかともいわれている。世界はまだまだ分からないことだらけだ。

 

私は、朝の散歩で見る朝焼けがすきだ。同じような風景はあってもきっと二度と同じ風景はない。自然が見せるグラデーションほど美しい「キセキ」はないと思っている。