言葉の功名

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2017.10.06 (金)

怒りを感じたときに、決して攻撃的にならずに自分を寛大な人間に押し上げてくれる言葉を見つけました。

 

先日のこと、車を運転しているとタクシーが道の入り口をふさぐ感じで止まっていました。しばらく様子を見て待っていました。おばあさんが乗り込むのを運転手さんはお手伝いして、おばあさんが押していたキャリー(というのかな?)をトランクに詰め込み、そしてその後も少し待っていましたが発進しない。幸いにもタクシーの後ろをギリギリ通れそうなスペースがあるので、通り抜けようと車を滑り込ませました。すると突然タクシーがバックを始めたではないですか。慌てて止まりクラクションを鳴らしましたが時すでに遅し。ググッと私の車の横っ面にタクシーのバンパーが押し当てられました。あ~あ、と思っ次の瞬間にはタクシーは前に発進。「え~~!」っとタクシーを見送ることしかできませんでした。

 

近くに止まって当たった部分を確認。傷はついていないようで良かった!と思いつつ「もう!」という言葉が思わず口をつきました。

(少しすると、タクシーはワンブロック一周して戻ってきて謝ってくれました。)

 

また、その日は「早めに帰って家で仕事でもしよう!」と事務所ビルの階段を降りていくと、踊り場が濡れていることに気づきました。現在、2階より上には私の事務所しか入っていません。つまり階段を使うのは私と私関係の来客のみ。階段を濡らすような人の出入りはないはずだったので不思議に思い、よくよく観察すると、どうもそれはおしっこ。少し黄ばんでいました。「なんで!」と思いながら臭くなるのは我慢ならないので、汗だくになりながら「もう!」とつぶやきながら一生懸命掃除しました。

 

そうです。 怒りを感じたときに、決して攻撃的にならずに自分を寛大な人間に押し上げてくれる言葉とは「もう」なのです。「もうおこった!」のほうの「もう!」ではなく「もう、仕方ないな。」の方の「もう」です。

 

タクシーの運転手さんには、「お婆ちゃんの手助けをするやさしい運転手さん。うっかり後方確認してなかったんだな。もう、お客さんを乗せているんだし仕方ない」と。

 

おしっこした人には「我慢できなくて、こっそりしちゃったんだな。もう、仕方ない人だ。掃除を怠っていた私にも隙があった。次にはする気にもならないくらい綺麗に掃除しよう。」と、寛大な心で相手を許す気持ちが芽生え、いやな気持も尾を引かずに済みました。

 

たとえ誰かが失敗したとしても「もう、」と言ってしまえば許すしかなくなるのです。

 

そして昨夜もクッキーをひと箱ぶちまけて盗み食いをした、愛犬シーザーも「もう!」と言いつつ許してしまいました。(まぁ~、いつもなにかと許してしまっているのですが。)

 

そのうち、牛田モウさんのようにモウモウ言うようになっているかもしれません。いや、どうせならミル姉さんを目指そうかな~。

 

(※若い方のために、牛田モウさんは「ひょうきん族」ミル姉さんは「笑う犬」のキャラクターです。)