よい家は欲張らない
住宅の計画は欲張っても、総合的に見て良い結果にはならない。と思っている。
欲張る、というのは要望をたくさん盛り込むというとこ。
以前も書いたことがある。
建物の計画をすすめていくと、どんどん欲が出て、どんどん面積が増えて不格好な建物になっていく。当初の計画はシンプルで無駄がなかったのに、だ。多くの欲(原因)は「利便性の追求」「収納の量」「個室の数(あるいは広さ)」などだ。打ち合わせを重ねる度に建物の形がいびつになり、そして、建設費は増えていく。
今後の生活で何を重視するのか?という「コンセプト」がブレてしまい、迷いながら計画を進めるためだと思う。情報過多の現代では、細かい情報にあふれている。失敗したくないと思うあまり、あれもこれもと要望をモリモリに盛り込んでいては、どうしてもあちこちにしわ寄せができてしまう。
かたちの「イビツ」さは、「恰好の悪さ」だけの問題ではない。
構造強度にとっても不利になる。
建築費が増え経済的にも余裕がなくなる。
水じまいだって悪くなるかもしれない。
大きくなってしまった分、敷地の余白が減ってしまい光や風通しが悪くなる。
そうならないためには、計画を少しずつの手直しするよりも、息詰まったら再度、新たに考え直すことが必要かもしれない。改めて「この建物に大切なもの(こと)は何なのか?」「どうして、建てようと思ったのか?」に立ち返ることが大切だ。
何事でもそうだと思う。何かに没頭した後には俯瞰する。それを行き来することが大切で時にはリセットが必要になるはず。そこは手を抜かずやり直さなければいけないと思っている。
建物に関して、人の行動やモノの増え方を予測することもある程度は必要だけれど、人間には適応力があるはず。とおい未来を予測してもその通りに変化するとは限らない。どこまで心配してもきりがないのだ。それより「建てる意味」を忘れないようにすべきだと思っている。楽をしようとする気持ちもほどほどに、計画には柔軟性を持たせることで、経済的にも余裕が生まれ生活も豊かになるはずだ。
すべてにおいて、感じることだが、
不安や不便さを受け入れることが今後の世界の重要なキーワードだと思っている。
人間は効率重視の世界につかれてきている。「ムダ」が大切な時代がはじまっている気がしていて、そして「ムダ」は「幸福」や「豊かさ」につながっている気がしてならない。
楽をするための工夫より環境からいただける豊かさが大事だと思っている。