分野を超えること

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2024.12.05 (木)

何かしながら聞けるので、以前からポットキャストを聞くのが好きだ。先日、いつもよく聞く「TAKRAM RADIO 」でゲストの慶応義塾大学理工学部教授、牛場潤一氏の話を聞き共感を受けたのでブログにまとめたいと思った。

私の勝手な解釈が大いに反映されているとも思われるが、お付き合いを。

 

~~~~以下、ポットキャストの内容~~~~

牛場氏は、BMIの開発者。

 

BMIはイーロンマスクも研究している。(脳にチップを埋め込んじゃうだって)

 

牛場氏は、理工学部の分野を飛び越え、医学の分野に踏み込む道を選ぶ。
最初はどちらの分野からも反対されたり、笑われたりしたとのことだ。
氏いわく「本物こそ摩擦が生じるもの」だそうだ。

専門性を突き詰めてきた方にとって、全く違う分野からの参入はただの「違和感やノイズ」。そう感じて当然。今ならわかるとのこと。しかし、分野を超えたからこそ新しい知見が発生し、フリクション(摩擦)が大きいほどそれは芯をついていたりするのかも。と

 

今まで培ったものをひっくり返されそうになるのだから、摩擦が起きて当然と氏は語る。

 

にわかファンに対するアンチにも似ている感覚かも、とパーソナリティーの渡邉康太郎氏。

新規参入者に対してはアンチテーゼがあるもの。

新規参入者に「関心を持ってくれてありがとう」の気持ちを持つ人がいたり、

「いやいや違うよ、」と本当のことや、専門性を伝えたがる人がいたりもする。

牛場氏は、そのどちらでもなく寛容に見守ることが大切。と言う。
こちら(オーソリティー・権威者)に合わせる必要もなく、

「好きにやってみなよ」という寛容さで良いと考える。
自分も初めは「にわか」から始まったはずで、そこに新しい価値があるのかもしれないからだ。

今は、自身がオーソリティーとなりつつあり、どうあるべきか考える、とのことだ。

新しい芽を、つぶさないように。

 

たとえ話として

つまり、上手な人と初心者が混ざり合って、そこから言葉を覚える。音楽のセッションでも。

卓越した者と初心者が一緒にいることが大切なのだと。

 

イッセイミヤケは、学生時代オーソリティー(権威者)に問題定義した。その後、オーソリティーと同じ価値観上で実力も見せつけ実績を残した。次第に自身がオーソリティーになり次の世代のためにも権威(自身)に合わせに行くのではなくて、内なるパッションを大切にする働き方を提案。事務所から新たな実力者を多数輩出した。

飄逸(ひょういつ)した生き方が大切。

はじめは「にわか」であって逆風が多くても、オーソリティーが反対できないくらいの結果を見せつける力強さが必要。だとも。

自分や事柄の本質は何か?を見極めて生きていく。ことが大切なのだと。

またサクセスするには、分野をまたいでいたとしても、専門性をキチンのしていないといけないのも事実。実力を身に着けることも大切だ。

人生が勝負。 ライフイズワンタイムジャーニーで、成し遂げたいというビジョンに向かう自分の姿勢が大切。

結果を追い求めるとたどり着けず、こうゆう姿勢でありたいとピュアに思い続ければおのずとたどり着ける。

自分はこれを表現したい!があれば、踏ん張りがきく。

氏は、目の前の患者さんが「よくやったじゃん」と言ってくれるか?を常に意識して研究している。目の前の患者さんの一言のために、誠実にこだわっている。そこが結果につながり、その先につながっていく。

 

世の中、何事も名前を付けて分類してしまうもの。そうすることで専門性が増すので、突き詰めることも大切なこと。そう考えると一度は型にはまらないといけないとも。

しかし、専門教育も一定程度必要だけどそこで一生終えていいのか?甘んじていいのかを自問することがあってもいいのではないだろうか。

分野を超えるためには、日頃の心の深呼吸が必要。
専門分野がうまくなってきたらまさに今がチャンス。もう一歩踏み込むときなのだ、と。

他の分野に飛び込むためにも、良く学びよく遊べ。別分野への好奇心が大切で、それが生き様や思考につながるからだ。分野は違えど芯は同じ。科学と、アート、ファッションにも興味を持っている。とのこと。

外からは、食べ散らかしているように見られるけれど、ある時、結晶となってハーモナイズし一つのものになる。

 

ここで渡邉 康太郎 氏

図書館の分類不能な場所が好きだった、

寺田寅彦(物理学者、作家)や

スティーヴン・ジェイ・グールド(生物学者、エッセイスト)など

自分の追いかけているものを見失わずにいればよい。のでは?

 

自分が一人の人間として、社会に何が残せるか。

仕事をやめるとき、死ぬとき「楽しかったな」と思いたい

「人と似てるな」で終わりたくない

その生き方自体が輝いて見えるので、他から評価されなくてもよい。

渡邉 康太郎 氏

荒俣宏 鳥類 大博物百科 (一人で書いた本=偏愛?)には実在しない鳥も書かれている。

脱構築できる、自分のレンズを持ち続ける余裕を持って居続けたい

 

 

氏は新たに

クロスディグニティ―センター:ルールの裏側にある人間の尊厳を考える

という施設で活動を始めたそうだ。

 

~~~~ここまでが、ポットキャストの内容~~~~

少し違うが、キャリアチェンジをして成功する例も多い。
おそらく、キャリアチェンジすることで知見が広がり、人格にも幅が生まれるのだろう。
しかし、おかれた分野で身に付けられるものがあってこそのことだ。
その分野で、「学ぶ」という謙虚さがあれば、次のキャリアでも活きてくるはず。

だと思う。

 

 

専門分野を突き詰めようとすることなく、表層だけでフワフワしていながら、
他の分野へと渡り歩いても生まれるものはたかが知れているのだろう。

 

誰かの言葉でしか物を(事を)語れないままとなる。

 

自分と重ねて、反省してしまう。

 

「人と似ている」で終わりたくない。

 

心に刺さった。

おそらく、自分のオリジナリティーを極めるには
痛みもともなう。批判だったり、中傷だったり、嘲笑だったり。

 

自分が一番一緒にいてつらいと思うのは、人をバカにする人。 

できれば自分はバカにされる側でいたいな~と思う。

 

反面、それも怖いのだけど。