小さな家のすすめ

絵本「ちいさいおうち」やドラマ「大草原の小さな家」が好きでした。

幼少期に山のふもとの小さい家に暮らしていたので原風景として刻まれているせいかもかもしれません。住宅の脇には、父が一から手で作った小屋があり、その周りにはサクランボの木やスモモの木が季節ごとにの実を実らせます。出入口付近にはバラが植えられて、ナマケモノの私は近道しようとして、その上で転び痛い目にあいました。ちょっとした畑の向こう側には小川が流れていて、カエルやサンショウウオの卵を採取したり、玄関先にはかご型のブランコが据え付けられていて、友達が来たらそこでおままごとしたりして遊んだりしました。ちょっと、山の中に入って遊んだり、今では考えられない環境です。

 

そんな自分の勝手な感傷を抜きにしても、小さな家にはメリットがたくさんあります。
そんなメリットを紹介できればと思っています。

住宅建築計画が始まるのは、そこで暮らす家族が多いとき、又はこれから多くなると見込まれる時点だと思います。しかし家族が多い時期は、あっという間に過ぎ去ってしまいます。現在の核家族化、少子化の宿命なのでしょう。

なので、できる限り小さな家をお勧めしたいと常日頃思っています。

小さい家にはこんなにメリットがあります。

一つづつ解説していきます。

• 日差しや風を取り込みやすい

敷地に対して、家を大きく計画すると、どうしても風の通りや日の入りが悪くなります。

最近は高断熱高気密住宅なので快適な住環境は実現できるのですが、豊かで幸せな暮らしとは少し違う気がしています。気候の良い季節には、外からの心地よい風を感じたいですし、朝の光を感じた風に揺らぐ緑を楽しむことなど、ささいなことに幸せが潜んでいる気がしてます。

さらに、建物自体にも良い影響があります。床下や外壁内部、小屋裏などの見えない部分にも通気が必要です。断熱方法にもよりますが床下や外壁小屋裏内の環境は住宅の寿命を決めるうえで重要です。できるだけ通気を良くすることで、内部の湿気を逃がし乾燥させることで建物の高寿命化につながります。湿度の高い九州ではなおのことで、建物内部の通気を良くし乾燥させることで、木は強くなりシロアリ被害の予防につながります。(シロアリは通風を嫌います)

境界ギリギリの部分は、通気が悪くなり湿気がたまりがちなのです。見えないところにも気を配りたいですね。

• インテリアを楽しむ

敷地ギリギリに窓を設けようとすると、法の採光規制が厳しくなりどうしても大きな窓が必要になります。大きな窓を設けるとどうしても壁が少なくなります。

それに比べ、敷地から建物を離して計画できると窓が小さくても日差しや風を取り込むことができ、結果壁が増え家具を配置する余白がうまれます。花を飾ったり、好みの家具を楽しんだり、絵画をかけたり。それに加え、外構に植栽があるとさらに心が豊かになることでしょう。季節も感じられ野鳥が訪れたりもします。

手入れの手間が増えますが、それも楽しいひと時となり豊かな時間となるでしょう。

インテリアとは別の話になりますが、壁が増えると、構造的にも強くなります。小さな建物は風の影響も受けにくく、耐震的にも耐風的にも有利になります。

• コストダウン

当たり前のことですが、建物が小さいとコストダウンつながります。一坪90万円とします。単純に90万だけではなく融資を受けると利息が付いてきますよね。その一坪の費用があればゴージャスな家族旅行も実現することができます。家族の思い出を増やすことができるのです。

さらにランニングコストもダウンできます。空調などの電気代はどうしても建物の大きさに依存します。固定資産税も大きさに付随して金額が上がります。

 

• メンテナンスが楽に

広い家を良好に保つには、それなりにお金も時間も必要になります。

掃除一つをとっても、簡単に想像できるでしょう。

小さい家は時間も短縮することができます。

長期で考えると外壁、屋根のメンテナンスや床下のシロアリ点検、配管の点検メンテナンスなども建物が小さいと費用が少なくすむでしょう。

建物を長期で大切にしていくには大切なことです。

また、建物が広いと空気がよどむ箇所が産まれやすく、そこから木材が傷んでくることがよくあります。

また、建物が大きいと、日差しが届かない箇所も生まれやすく、暗い場所は汚れが目立たず、掃除されにくくなったりもします。(暗い場所があるのは、個人的には好きなのですが)

 

• 庭を楽しむ

人間、土に触れなければならないと常日頃思っています。土というより「自然に」でしょうか。

話はそれますが、最近時間管理の話を聞きました。

効率的に何かしようとすると焦燥感にかられて忙しく感じられる。そのわりに効率的な作業とならない。やらないことを決める方が重要で、さらに、無駄を楽しむ心の余裕を持つことが、生きた時間の使い方につながるのだということです。この話以外にも、そのようなことが書かれた書籍も多数あったなと思い返しました。

つまり、効率重視より余白を作ることが大切なんですね。

  土や海、自然に触れる時間はまさしくそれだと思っています。海草を採取するお手伝いをしながら、漁師のお嫁さんにお話を聞く機会がありました。「結婚生活いろいろあったけどこの(採取する)作業が癒しになっていた」と伺いました。お手伝いしながら確かに、一心に没頭し作業することは心が落ち着くと実感したのを覚えています。

庭の手入れを苦に思う方も多いのですが、一心に草を取る作業も、心が癒すことになるのかも?ならなかったらすみません(笑)

•家族との距離感が近くなる

家が小さいと、家族の気配が伝わりやすものです。

「おーい」といえば声も届くのも便利です(笑)

人間同士の意思伝達は言葉やジェスチャーだけではない気がしています。それは、気配とか、オーラとか、電磁波、素粒子なのかもしれません?スピリチュアルなことなどはわからないのですが、確かに同じに空間にいないと伝わらないことがあることを、コロナ禍で感じた人も多いはずです。

  時にわずらわしく感じる家族間ですが、物理的に離れられないような環境下であれば何かしらの解決策も生まれるものなのかもしれません。(時には逃げられるスペースがあるとなお良いのかもと思いつつ)

• 無駄なものが増えない

よくお聞きするのが収納をもっと増やしたいとの声です。

 

収納を増やしたい気持ち、よ~くわかります。しかし、その収納されているものたちは本当に必要とされているものでしょうか?収納スペースがあるばかりに、不必要なものが増えてしまうような気がしませんか。(我が家にも開かずの収納スペースがあるので自戒込めて。)

 

セオリーだからと安易に収納スペースを作るより、必要に応じた生きた収納計画が必要です。

 

大切な思い出の品を収納するスペースを確保しつつ、日常使いのものは循環して活用されるような収納計画が必要だと考えています。

• 狭さを感じさせない工夫もある

そうは言っても、狭苦しい感覚にストレスに感じながら暮らすのは嫌なものです。

狭苦しさを感じるのは、やはり動線が狭いときや、視界がごちゃついて見えている時ではないでしょうか。そう感じないような工夫が必要で、これらをクリアするのは作る側の、私たちの責任なのでしょ

いろんなことを我慢するだけではなく、この世に一つの自分の家です。気分のが上がる部分は大切にしたいものです。

施主に、ものを増やさないでメンテナンスをまめに行うことができる心の余裕を持っていただくためにも、経済的・時間的な余裕が生まれる小さな家は、理想的なのです。

建物だけではなく、出会った方々には幸せになってほしい。
「ぐるり」(周囲)の幸せを願う、ぐるり設計室です。

窓の役割

いわずもがな、建物にとって窓はとても大切。
そんなお話です。

 

知ってる?窓って大切


窓にはいろんな役割があります。
明り取りや、風通はもちろん
建築設計の視点から、窓にはいろんな役割があるのをご存じでしょうか。
今回は、そんなことも知ってもらえたらうれしいと思い記事を書きます。

 

採光

 

これはみなさんご存じ。想像にもたやすいはずです。
窓のない部屋は真っ暗です。窓が大きいと明るく、小さいとあまり明るくなりません。
そんなことは説明しなくてもいいですよね(笑)すみません。
では、地面に近いところの窓は高いところの窓より暗く、部屋の奥には光が届きません。
床近くの窓は、採光にはあまり役に立たないのです。
しかし落ち着いた雰囲気を演出するのにはとてもよいし、次に説明する通風にも役に立ちます。
反対に高い位置にある窓は部屋の奥にも光を届けます。
さらに型ガラス(曇りガラス)だと、光を拡散させて部屋中均一的に光を届けます。
蔭ができにくい光です。
天窓は、建築基準法上、壁に付く窓の3倍の数値を用いることができます。
実際、それくらい部屋を明るくします。
そう、部屋の採光は建築基準法で決まっているのです。
ややこしい計算方法が決められており、低い位置の窓は法的にも不利です。
また、お隣の境界近くにある窓も光が入らないとジャッジされます。
たとえ今はお隣に何もなくても、境界ギリギリいっぱいに建物ができるかもしれない、
という考えでしょう。
部屋の大きさに見合った窓の大きさを確保する必要があり、
実際、この計算がNGだったりギリギリというような部屋は、体感的にも暗く感じます。
楽々クリアが、一般的な明るさ。と覚えておくといいでしょう。
平屋の家は採光で言うととても不利で、
どこかに坪庭かトップライトを設置するなどの必要が出てきがちです。

しかし、明るいだけがいいとも限りません。
日本人の文化として闇を楽しむところもあり、(谷崎潤一郎著、陰翳礼讃)
一様に明るいよりも、暗さを楽しむ部分があってもいいのかもしれませんね。

 

 

通風

 

こちらも、誰でも体感してきたでしょう。
時折、部屋を抜ける風はとても心地よく感じます。
エアコンの涼しさもいいのですが、やはり時折吹く天然の風は心も和みます。
こちらも、建築基準法では「換気」という項目で窓の大きさが決められています。
前述した採光はガラスが閉じていてもOKだけれどこちらは開かないといけなく、
(そんなことわかりますよね(笑))、実際に開く面積が定められています。
環境工学的に言うと、対面する窓よりも側面にある窓の方が通風量が高いと教わります。
空気圧の差がその方が大きくなるためだとか、
しかし、空気が滞る箇所ができてしまうことに注意が必要です。
また、換気窓に高低差があると無風状態でも空気が流れると教わります。
(実感はいまいちできないのですが)

その土地、その場所で特有の風の入り方などもあります。
広いところから狭いところを通る風の流れは、強くなりがちなど。
風の通り道となる部分も現れます。
廊下に寝転がるネコはよく心得ているのです(笑)

 

排煙

 

こちらは、一般住宅では耳なじみがないでしょう。
住宅には法的には求められてはいないのだけど、大切な考えです。
いざ火事になった時、煙を逃がすのも窓の役割ということです。
少し違う話ですが、一般住宅で火を使うところでは仕上げ材を準不燃材以上にしなければなりません。全部をそうしたくないときは、垂れ壁を設けることで部分適用に切り替わります。
たれ壁をつけないときは部屋全体を、準不燃材料で仕上げてね、ということになっています。
最近のクロスは優秀で、ほとんどのものは準不燃材として商品化されています。
しかし、木材などの天然物を壁・天井に使うことができなくなってしまうのです。(最上階は別)

住宅以外の建物では、面積に対して排煙するために有効な天井付近の窓の大きさや種類が、
厳しく決められています。
窓が設けられない場合は機械で煙を排出する設備を設置します。

 

ここまでの、採光・換気・排煙はワンセットで法で定められていて、
設計段階で各部屋の窓の面積を決めているのです。
安易に「現場で変更しました」となると、「え~!」となります(笑)
大きくなる分にはいいのだけれど。

 

避難・通行

 

窓には人の出入りという考えもあります。
特に、バリアフリーや避難の考えです。
バリアフリーで言うと、寝室には掃き出し窓があるほうがよく、
将来体に障害を抱えた場合、玄関まで行くより寝室窓から出入りできるようにする方が
体への負担も少なくなるからです。
避難に関しては、住宅以外の3階建ての2階以上には出入りできるバルコニーが推奨されています。
窓の高さや大きさも決められていて、人が乗り越えられる窓下の高さも決められています。
はしご車での救護を想定しているためです。
消防士が侵入することができるようにガラスの仕様も決められています。
実はこれ、防犯と相反するので悩ましいところでもあるのです。
火事の際に、2階から降りられるよう考えることも必要ともいわれますが、
やはり防犯的には少し怖い気がします。
次に逃げるためのルートも確保しなければなりません。
そのあたりも、きっちり定められています。

 

 

防犯

今までに上げた窓の特性を、十分活かすとなると、やはり防犯性が下がってきてしまいます。
大きくする方が有利になるのですが、その分誰でも侵入しやすくなる。
それで、安易に面格子を窓に取り付ける、という選択肢になってしまうのですが・・・。
有名な建築家の吉村順三さんは、面格子を嫌っていました。
その代わりに、侵入されそうな窓の付近にはとげのある植物を植えたと聞きます。
戦国武将も生垣にとげのあるウコギを植えることを奨励したとか。(食べられるし。)
バラなどを窓の近くに植えるのもいいかもしれません。(手入れができれば)

空き巣の気持ちになると、人目に付かない窓から侵入したいと思うものです。
なので人目に付くような窓は大丈夫。(言い切れないけど)
侵入しやすい窓のあたりには、足音が鳴るように砂利を敷くのもいいでしょう。
玄関も、あからさまに丸見えは少し恥ずかしいのですが、
人の出入りはわかるような作りの方が、防犯上はいいのだと思います。

ダミーのセキュリティーのシールや防犯カメラも有効かもしれませんね。
インターホンも簡単に取り付けられるようになりました。
今ではスマホで確認できるものも!便利な時代です。

窓に求められる熱のはなし

 

今は高気密高断熱が家に求められています。
壁や屋根、床は断熱材を用いることで断熱性能を上げることが比較的容易ですが、
窓はどうしても弱点になってきてしまいます。
諸外国に比べて、日本の窓のレベルは劣っていました。
日本人の認識が低かったためです。
しかし、近年、性能はどんどん良くなってきています。
そして、地域にあった窓の種類を選ぶ必要もあります。
太陽光を遮断する方がいいのか、取り入れるほうがいいのか?
窓の向きによっても変わってきます。
南側の窓につい、実は夏には光が当たる時間がどの方向よりも少ないんです。
日差しをよけるのであれば東と西。九州であれば、北も少し考慮してもいいかもしれません。
逆に光を取り入れたい冬には、南の窓が一番光が当たる時間が長い。
熱いからと南の窓に簡単に日射遮熱性能の高い窓を使うより、
春と秋に南面の窓から入る日差しを調節する工夫を考えるとのいいかもしれません。

 

 

眺め

 

そして一番私が好きなのが、窓からの眺めです。
風景を切り取るような窓がほしい。
プライバシーを重視して、型ガラス(曇りガラス)を多用するのはもったいない。
外から人影がちらりと見えるくらいは良いのでは?と思うのですがいかがでしょう?
眺めを楽しめるくらいの心の余裕を持ちたいと常々思っています。
ほっと一息ついたときに、窓に目をやると何がみえると和むでしょう。
などと常々考えるのです。

 

窓。ノスタルジー

 

北海道出身の私の子供の時代の窓を思い起こすと、
一応は2重窓ではありましたが、隙間から雪が入り込む始末でした。
引違窓の中央の重なる部分に、ねじ式のカギがあり差し込んでグルグル止付ける仕組みのもので、
ガラスも薄く、風が吹けばガタガタと音を立てるような窓です。
冬は内側からビニールで覆って漏気を防いだりしていました。
とても、懐かしく思います。

 

それに比べ、今の住宅のなんと高性能なことでしょう(笑)
高性能過ぎると季節を体感できないという人もいます。
確かに、厳しい自然と対峙するような、そんな感覚も大切である気もします。
でも、それは屋外で味わいたい。あまりに厳しい中では季節も楽しめない(笑)

 

家は、ほっとできる安全な場所であってほしい。そう思っています。

 




子供部屋につてい

かつてより、子供部屋についてはいろいろ論争がある。
戦前、まだ子供部屋の考えは一部の裕福層のみで、
多くの家に子供部屋はなく居間をいろんな形で活用していた。
食事や勉強をし、夜にはちゃぶ台を片付けて寝室にも使っていた。
その後、「寝食分離」の考えが一般化し寝室が別に用意されたが、まだ子供部屋が与えられるにいたらず、子供部屋が当たり前になったのは、高度成長期以降だろうと言われている。
アメリカのドラマが日本でも放送され、西洋の文化にあこがれをもった日本人は、どんどん家を大きくしてきた。
「うなぎの寝床」「ウサギ小屋」と揶揄された日本の住宅を恥じてのことだったのかもしれない。

その当時、玄関ホールに階段があり、2階に子供部屋がある家が多かった。
小さく仕切ることで温熱環境の管理もしやすくプライバシーを守るには最適だ。
逆にふすまで仕切られるだけの間仕切りを「気配を感じることができていい」という論調もあった。
その後、子供が「茶の間も通らずに部屋にこもる」や「来客に挨拶もせずに子供部屋へ行ってしまう」などの躾に不都合との声から、居間を通らないと子供部屋へはいけないように、との要望が増えた。(今も)
最近は、勉強は居間で行った方がいいなど、子供部屋の存在自体が議論されている。

大切なのは、なぜ子供部屋が必要なのか?ということだろう。

自我の目覚めと自立の為に必要なのか?
勉強に集中する環境を用意するために必要なのか?
大人がプライバシーを守るために必要なのか?(←これ、とっても大切だと私は思う)


子供部屋を与える前に、本人も交えて話し合うといいのだとも思う。
子供の性格も様々、一人になる時間が欲しい子もいれば、
子供部屋をほとんど使わない子もいる。
親としての考えも様々で、ある程度管理できる状況にしておきたい親御さんいれば、子供の自主性に重きを置く親御さんもいる。

自立心を養いたいのであれば、一緒に話し合い、子供部屋の活用の仕方を本人に決めさせるのもいいと思う。
ある程度の広さも確保し、自分の物を管理させるように収納も用意する。

子供部屋を勉強部屋とするなら、集中できる環境を用意してあげるといい。
音はなるべくさえぎることができるようにし、できれば緑が視界に入るといい。インテリアには青色を取り入れることで気持ちが落ち着くし、集中力が増す。

部屋の目的が休息となるなら、暖色系やピンク、または木材の使用もいいと思う。

いずれにせよ、家族のコミュニケーションのあり方が重要で、大人の都合で考え子供部屋を与えるだけではなく、子供部屋の使い方や約束をお互いに話し合うのがいいのかもしれない。

子育てや親の在り方に正解はない。
これは私のただのおもいとして。


古来は「子供」という概念すらなかったらしい。
中国では官僚を育成することで「お家」が栄えるので、古来から教育に重きが置かれていたようだが、多くの国は「子供」はただの弱くて小さい人で、農耕の働き手として扱われていたそうだ。
亡くなってしまう子が多かったからか愛情をもって接するもの、という考えは意外と近年に生まれたという。
愛情を注ぐべき存在となったのは、啓蒙主義が持ち上がったころのよう。
日本では西洋の文化を取り入れ始めた、明治以降ということになる。
「お家」と「家庭」や「家族」を区別するようになったのも、明治以降のようだ。
このころから、各家族が増えていくことになる。

などなど、今の常識は、以外にも時代と場所が変われば非常識ということになる。
失敗を恐れて、常識的な家になりがちだけど、常識に惑わされず自由でいいのでは、と常々思う。
とはいえ、自分の家ではないのでなかなか冒険もしないのだけど(笑)

家の大切な役割、基本は命を守ること。そして育む場だとも思っている。
人格形成にとって最良の場であってほしい。


中古住宅を買うという選択

ウッドショックの余波は今も続いています。
そろそろコロナの影響も落ち着くかと思ったやさき、戦争の勃発で世界経済は再度昏迷状態になってしまいました。
グローバルな時代になって便利になった分、影響はすぐに世界にも及ぶとを実感しました。

建築の坪単価は高騰し続けています。
収入は上がらないのに物価は上がるし、税金も上がる。
夢のマイホームは夢のまた夢なのか・・・・。
でも愚痴は言わずになんとかしましょ!(と、商業的な回答ですね。)

中古物件を買って工事をするという選択肢はどうなのか?
実は中古物件の価格も上がってきています。
低価格で立地条件が合う物件に巡り合うことができるかどうか。
めぐり合わせしだいでしょう(こんな回答は、もともこもないですね。)
もう、それは恋愛のような「出会い」なのかもしれません。
肉親から建物を譲り受けるのであれば、違ってきます。
しかし、そうであってもフルリノベーションとなると、やはりお金はかかるもの。
基礎、外壁、屋根に手を入れなければならない物件であれば、
安く買える住宅並みになるかもしれません。
どこまでの性能を求めるか!でも工事価格も違ってきます、が
できれば性能をアップさせたい。
減築が一番いいとは思っているのですが、解体費もバカになりません。
そこで、減築せずに性能を上げる部分を限定することも勧めたりします。

長期優良住宅へとリノベーションすると補助金があります。
が、しかしハードル高めです。設計委事務所が頑張らなければいけない分野です。
今年の10月より、その基準も変わってきます。
現在、すでに高性能な住宅のリノベーションにとっては有利になるようです。

立地条件のいい物件は、価格も思いのほか高くなります。
どこで妥協するか?
自分が一戸建てを求めようと思った理由に立ち返りつつ
進めるのがいいと思っています。

先日、知人と雑談していて
「日本も欧米のように建物に手を入れてレベルアップして販売するようになればいいのに」
と言うのを聞いてちょっと嬉しくなりました。
本当にその通り!と。少し前にはそう言ってくれる人もいなかったからです。
なぜか日本人は中古を嫌います。
平安時代の都の遷都も、中古を嫌う日本人気質から来ているような気がします。
(私の勝手な解釈です)
しかし今回の物価高騰で、皆さんの意識も少しずつ変わるかもしれません。

余談ですが、中古車の価格も上がってきていて、外車は購入できないそうです。
なので中古の外車の買い取り額は高くなっているのでは?と思い
お世話になっている修理工場の方に聞いてみると、逆に下がってきているそうです。
今後メンテナンスに費用と時間がかかるようになるからでしょうか。

世界状勢からの物価高騰もさることながら、
食糧難も危ぶまれています。(不安をあおる気はないのですが)
自然豊かな日本を大切にする時が来たのだと感じています。
今あるものを大切にする時代。
まさにその時なのです。開発して宅地を広げるより農地や山林を温存したい!

皆が地球環境に愛着を持って接することで、世界は少しずつ改善すると思っています。
小さな一歩から。
ハチドリの一滴のように。

よい家は欲張らない

住宅の計画は欲張っても、総合的に見て良い結果にはならない。と思っている。 欲張る、というのは要望をたくさん盛り込むというとこ。 以前も書いたことがある。 建物の計画をすすめていくと、どんどん欲が出て、どんどん面積が増えて不格好な建物になっていく。当初の計画はシンプルで無駄がなかったのに、だ。多くの欲(原因)は「利便性の追求」「収納の量」「個室の数(あるいは広さ)」などだ。打ち合わせを重ねる度に建物の形がいびつになり、そして、建設費は増えていく。 今後の生活で何を重視するのか?という「コンセプト」がブレてしまい、迷いながら計画を進めるためだと思う。情報過多の現代では、細かい情報にあふれている。失敗したくないと思うあまり、あれもこれもと要望をモリモリに盛り込んでいては、どうしてもあちこちにしわ寄せができてしまう。 かたちの「イビツ」さは、「恰好の悪さ」だけの問題ではない。 構造強度にとっても不利になる。 建築費が増え経済的にも余裕がなくなる。 水じまいだって悪くなるかもしれない。 大きくなってしまった分、敷地の余白が減ってしまい光や風通しが悪くなる。 そうならないためには、計画を少しずつの手直しするよりも、息詰まったら再度、新たに考え直すことが必要かもしれない。改めて「この建物に大切なもの(こと)は何なのか?」「どうして、建てようと思ったのか?」に立ち返ることが大切だ。 何事でもそうだと思う。何かに没頭した後には俯瞰する。それを行き来することが大切で時にはリセットが必要になるはず。そこは手を抜かずやり直さなければいけないと思っている。 建物に関して、人の行動やモノの増え方を予測することもある程度は必要だけれど、人間には適応力があるはず。とおい未来を予測してもその通りに変化するとは限らない。どこまで心配してもきりがないのだ。それより「建てる意味」を忘れないようにすべきだと思っている。楽をしようとする気持ちもほどほどに、計画には柔軟性を持たせることで、経済的にも余裕が生まれ生活も豊かになるはずだ。 すべてにおいて、感じることだが、 不安や不便さを受け入れることが今後の世界の重要なキーワードだと思っている。 人間は効率重視の世界につかれてきている。「ムダ」が大切な時代がはじまっている気がしていて、そして「ムダ」は「幸福」や「豊かさ」につながっている気がしてならない。

楽をするための工夫より環境からいただける豊かさが大事だと思っている。

世にのこるもの

ぐるりな日々, ブログ

2022.04.07 (木)

子供のころ、子供向けの百科事典が好きだった。
特に宇宙のページが好きでよく眺めていた。
宇宙空間があり、そこには渦巻きがたくさんあり、その中の一つが銀河系で、
その中の本当に小さい太陽系があり、その中の小さい星が地球。
という巻頭カラーの綺麗な絵が特に好きでよく眺めていた。
大き目の紙に描かれ、たたんで折り込まれていて、一部がどんどん拡大されていき、ようやく地球が現れる。というように書かれていて、地球はどんだけ小さいんだ!と思っていた。このページが宇宙だとしたら、舞っているホコリより小さいんだろうなと子供ながらに思った。

音とか光のページも好きで、夏休みなどの自由研究にそのページを抜粋して書き写したのを覚えている。
自然科学が好きで、もっぱら昆虫採取やサンショウウオやオタマジャクシの卵をとってきたり、時にはヒルも捕まえて育てた(笑)。動植物だけではなく夜空を見ることや、太陽の光で遊ぶことなども好きだった。あんなに好きだった自然科学なのに、建築士の勉強では大の苦手に(笑)。計算式とか覚えられない。
人間「have to」になると嫌気がさすのだな~と実感している。

建築は地球にとってはオデキみたいなものだ!と常々思っている。
いずれ壊れるオデキ。地球にとってみれば治癒したことになるのだろう。
形あるものは残らないゆえに、はかなくて記憶にも残る。

世に残るのは記録、言葉、物語り。だけのような気がする。
情報ともいえるけど、その言い方はちょっと味気ないので「物語り」と言い換えたい。
物語りとなりうるためにも、感情をともなった記憶を残せたのなら幸せだろう。
しかし、感情を伴わない記録だとしても決して無駄ではない気もする。
たとえば、ただの家計簿から後世の人が今の生活様式を想像するのも悪くない。
そこは、好きに想像していい。
森羅万象、すべては見方しだい。見る側の意識で真実も変わるのだし、そう考えれば感情の伴わない記録も、いろんな余白をはらんでいて、逆に面白い。好きに想像を働かせられる。そんな余白が風流ともいえる。
現存していないお城などもそれにあたる。変に再現するより、城跡や記録から皆で想像する方が浪漫がある。現存するものを見てしまうとその記憶が固定して一つの物でしかなくなってしまう。

宇宙から見ると、地球は人間の体のように見えるのだとか。
そして人体の中の細菌はまるで人間社会のようにコロニーを作っていて、宇宙からみた街のように見えるという。人間は細菌によって支配されていると言っても過言じゃないと聞く。腸内の細菌は善玉菌、悪玉菌それぞれ2割で他は日和見菌。これも地球と人間にたとえられる。日和見菌は、多いほうの菌に変化するとか。まるで、世界大戦を初めてしまう人間のようだ。

知の巨人・南方熊楠は細菌の一人者だが、霊的な体験も多いのだとか。
体や地球のボーダーを超えた存在だったのかもしれない。
同じ時代に生まれて、話を聞きたかった。イケメンだし(笑)
しかし相当の変わり者だったようだ。それをふまえても、やはり会いたかった。

熊楠の偉業や逸話は後世に残った。
世に残るものは、形あるものよりやはり「物語り」なのだろう。

話がずれてしまった。
建築はそのままは残らない。再現に限りがある。それゆえ、語られるに値するものを、心を込めて大切に作り、そして少しでも長く残したい。そう思った。

住宅に求められるもの

今年に入って毎月ポスティングしようと心に誓った。
効果はそれほどないことは知っているのだけれど、ただ単に好きだから。
いろんな通りや家を見て回るのが若いころから好きだった。
愛犬がいる頃は、散歩と称していろんなところを歩いて見て回った。
今、ただただぶらぶらしていると不審がられるのでいい口実になる。
いや、ポスティングの行為自体不審がられるし、ゴミになって迷惑かもしれない。
でも、知ってもらえないのは機会損失。(かもしれない)
以前より、ご近所だけ配布していたのを気の向くままいろんなところに足を向けようと思っている。

2月も末になり、先日慌てて配布した。
今回は共同住宅に配布しよう!とゆうことで、共同住宅が多い地域に足を向けた。
配りながら感じたことは、最近の新築共同住宅の品質の高さだ。
玄関ドアもいいものが使われていて、ポストも気密性がある。
ということは、建物自体もきっと気密性、断熱性に優れていると思われる。
省エネ基準のお陰なのかもしれない。
セキュリティーも高く、長屋(共有される廊下がないく玄関が1階にあるような建物)でできているので、
下の階に音が響くなどの気遣いも軽減できている。
これなら、一戸建てに引っ越す必要ないなぁ。などと思った。
若年層の住宅所有率は年々少なくなってきているのもうなづける。
これなら、賃貸派がふえるはず!そう思った。

しかし、きっと家賃は高いはず。
アパートを計画するとき、不動産業では回収できる年数ははじき出す。
私の知っている限り、10年で回収できるように考えることが多い。
建物が高ければ、満室率も高く結果、計算通りに回収できる!との考えかもしれない。
保証会社からの「保証するからこのレベルの建物にしないさい!」という規制が厳しいのかも。

以前より、共同住宅もレベル上げるべきと思っていたので、喜ばしいことだ。

じゃ、このまま賃貸派が増えてくる一方なのか?

いやそんなことはないと思う。仕方くなく賃貸に住まう人も少なからずいると思う。
じゃ、どんな時、どんなことで住宅が欲しいと感じるのか?
自分だったら、想像してみる。

まずは温熱問題。

省エネ基準以前の賃貸住宅は、断滅材もそれほど入っておらず窓ガラスもシングル。
夏暑く、冬寒い、窓はすぐに結露。
育ってきた家はそんなことがなかった世代は、こんなところが気になるかもしれない。

温熱環境を快適にすると健康にも効果がある。
アトピーや喘息も減るようだ。
温熱に不快を覚えている人は、ぜひとも検討してしてほしい。

次の利点として、所有欲が満たされる。
賃貸住宅には、やはり借り物という感覚がつきまとう。
その点、一戸建ては自分のものという所有欲が満たされる。(かもしれない)
私、あまり所有欲がないので想像の世界だけど。
他に、外回りや設備機器の更新も自由できることも利点だろう。

共同住宅を回っていて強く思ったのが、外回り収納がある共同住宅がないこと。
お子さんの成長に従って、外で使いたいものがでてきてしまう。
ベビーカー、外遊びのモノ、子供用自転車などなど。
きっと一時期だけのものだのだろうけど、ちょっとだけ外収納のある共同住宅があったいいのに、と感じた。

また、水回りを新しくしたくもなるかもしれない。
前の話にかぶるが、断熱効果を高める工事がしたくなるかもしれない。
自分が自由にできる家なら快適生活になる、更新工事もできる。

そして大きいのは、音問題。
一戸建てにしても環境によっては音問題があるかもしれないが、
それでも共同住宅よりは響かない。
子供が遊ぶ音や家族の会話などの生活音、設備機器の音、楽器の音なども、それほど気遣いせずいられる。
おとなりの生活音を聞くと安心する、なんて人は共同住宅向きかもしれないけど(笑)
ペットを思いのまま飼育することができることも大きな利点だろう。
いまだ、ペット禁止の賃貸住宅は多い。家が傷むし匂いがつくかもしれないからだ。

ペットOKの共同住宅でもマナーは気になる。
得てして、他の人のペットに対しては厳しい目で見てしまいがちだ。
でも、ペットと暮らすことはかけがえのない経験になる。
特に、お子さんには生き物に触れ合う経験は必要だと感じている。

そして、なにより自由なこと!
周りからの干渉もそれほどなく、自由にふるまえる。
自分らしい生活空間を作ることもできる。
外回りも自由に使えるので、植物を楽しむこともできる。

などなど、いろいろ利点ある一戸建て住宅。
月々の支払いが家賃以下で実現できれば最高だと思うのは私だけだろうか。

お金の話

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2022.02.02 (水)

友人に、何が知りたいか聞きました(またも!)
住宅購入までの流れを知りたいとのこと。
それは、以前のブログで書いたので(「住環境を変えたいと思ったら」
今回は、それと並行して考えるべき「お金の話」をと思います。
余談ですが、以前、住宅ローンアドバイザーの資格を取得したのですが、流してしまい今は無資格です。
それから年月もたち時代も変わりすっかり忘れてしまっていることも多々あります。
しかし、住宅を買う前に知っておいた方がいいと思うことを少しだけ書きます。
今回、参考にしたサイトです。
価格.com の住宅ローン基礎知識

現在の状況を調べてみました。

住宅購入を心に決めたら、人生を通しての資金計画を念頭に、まずローンの種類と借入額を検討します。
頭金をいくらにして、金利タイプはどうするか、返済方法は?期間は?など、
決断すること多数ですね(笑)。
まずは頭金について

頭金として貯蓄をどれくらい使うかを考えます。
住宅購入には諸費用がかかります。(物件の3~7%程度、中古だともっとかかります)
貯蓄はそちらに回すか、またはそれも含めて借入するかの選択があります。

当然ですが、頭金をつかって借入額を減らすと総返済額は大きく減ります。元金が減ればそれにかかる利息も減るからです。
ですが今は低金利なので、借りるなら今!と考えて生活費の為に温存しておくと考えることもできます。

又は株式などで運用するなど、それは自由です。ただし運用にはリスクをともないます。

資金計画について
今後の自分たちの生活の変化も予想します。
もし、お子さまがいらっしゃるのであれば、教育資金をきちんと考慮しなければなりません。
高校から大学までは、出費のピークを迎えます。
ピークがまだ先なのであれば、中学生までの間に元金を減らせる元金均等払いにする。
または、貯蓄を行えるように支払額に変化のない期間を決める、固定金利期間選択型を選択。(期間満了時に返済額がUPしていても対応できることが必要です。)または、繰り上げ返済も念頭に置いておく。など、いろいろな考え方があります。
全期固定金利型を選択すると、総返済額は変動金利に比べて高くなりますが、ずっと一定の返済額なので安心です。
低金利の今は固定金利の方がいいのでは?と、個人的には思うのですが全国の平均では変動金利での借り入れが多いようです。
商品にもよるようですが、変動金利で借りる場合5年縛り(契約変更できない期間)、1.25倍縛り(金利が急上昇しても支払額は1.25倍以上に上げない)があり、もし金利が急上昇した場合元金が全然減らず逆に未払い利息が発生し元金が増えるという可能性もあります。なので、そもそも変動金利の商品は「返済額がUPしても平気だよ」という余裕のある人向けの商品なのです。しかし「お得感」からか、余裕がなくてもこちらを選択する方が多いと感じています。少しヒリヒリ、ドキドキ感じます(笑)
金利が上がっても対応できるよう、金利の安いころから金利が上がった「つもり」貯蓄をしておくのも手だと思います。そうすることで生活状況も変えずに対応できるはずです。
もしも支払いが難しい時には、借り換えを考えることもできます。その場合、再度、審査や手数料などの諸費用がかかります。総合的にみる目が大切になります。
リスク分散の為に、金利タイプの違うローンをミックスして借りる方法もあるようです。また、夫婦で融資を受けるなどの方法もあります。複雑になる場合はリスクやメリット、デメリットをよーく確かめ、銀行の担当者に、あるいはファイナンシャルプランナーさんに相談するのもいいでしょう。
金利が安い!と金利ばかりに目を奪われがちですが、手数料などの諸費用にも目を向けましょう。
保障料や火災保険料などは、先に一括で払うか、ローンに組み込むかで月々の支払額も変わってきます。
他にも団信や火災保険・地震保険などの取り扱いについてもチェックが必要です。
税金対策で、ローンに組み込んだ方がお得!という考え方もあるようです。/

 

返済期間も決めていきます。

返済期間が短いと利息も減るので総返済額は減ります。

しかし、実生活にそぐわない計画だと日常の暮らしが苦しくなり、もしもの収入の変化や突然の大きな出費にも対応できなくなります。人は、明るい未来を思い描きがちだとも聞きますが、冷静に厳しい目で見た、余裕を持った計画を立てることが大切です。

税金控除も今後どのように変化するのかわかりません。(現在も審議中のようです)
低金利、税金の控除、補助金がいろいろある、今は建て時なのかもしれません。
でも、どうか冷静に考えてください、すべて国の誘導です。(言いすぎかな)
経済を循環させようという国の思わくは否めません。
損得だけで先走らないでください。
アメリカはすでに金利を上げました。きっと日本は税金を上げてくるでしょう。

/
しかし、先のことは誰にもわかりません。
現に、数年前に金利はもう底かと思っていましたがさらに下がってきました。
何事も自身で考え決断することが大切です。

マネーリテラシーを、との声をよく聞きます。
計画中の建物が、投資目的なのか、自分の心の豊かさのための物なのかでも考え方は変わってきます。
投資目的であれば、性能を高くすることで補助金、助成金、税金控除もあります。また売却時の価値も下がりにくくなります。しかし、基本的に売却目的や賃貸目的があからさまだと銀行は低金利で融資をしてくれなくなります。
低金利での融資は自己所有が前提です。国も自己所有の家の購入にかかる利息を軽くするため税金を控除しましょうね、となっていますので、儲けようと!とギラギラ感は禁物です(笑)
資本主義についての論争も激しくなっています。
2014にトマピケティさんが書いた本「21世紀の資本」がベストセラーになったのも記憶に新しく。(読んでいませんが)いろんな方が要約、解説してくれていて「r>g」→ 「資本が産むお金の伸び率 > 労働者が産むお金の伸び率」 ってことらしいですね。
まじめに働いてもお金持ちになれず、お金持ちは働かずして資産が増えるという今の資本主義社会はいかがなものか?
そのことがおおやけに知れ渡った今、投資に走る人も増えています。
増えすぎていて逆に危うく感じています。
マネーゲームはサブプライムローンで懲り懲りだったはずなのに・・・。
経済は成長し続ける。持続可能な世界といわれていますが、今後人口も増えない(地球の為に増えてはいけない)のだし成長は難しいのかもと感じています。
資本主義のダメな点については、終戦のころにはすでに問題視されていたようです。
マルクス主義が代表です。(詳しくないですが)
ポスト資本主義の考えもちらほら聞かれます。
時代の渦中にいると今がどういうことになっていて、これからどうなるか全くわかりません。
しかし、今、時代が変わる気配は感じます。
もしかすると、教育にもお金がかからない日本に変化することも考えられますし、格差を減らすための資本の再分配が行われるようになるのかもしれません。
いつの時代もそうですが、変化に対応できるよう、身の回りや心と体は身軽にいたいものです。(体を軽くするのは、なかなか難しいのですが)

杉工場 ゲストハウス

杉工場 ゲストハウス  素敵な空間でした。

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2022.01.06 (木)

「国」や「地域」、またはある特定の「場」(場所)には特有の「色」があると思う。景色の色というのも少し違っていて、空の色だったり土の色だったり植物の色だったりの色だけではなくて、匂いや音も景色に影響していて空気感も相まってそれは決まってくる気がする。共感覚(他の感覚が色としてとらえられる)というと特別の人がもっている能力のようだけど、実は多くの人に備わっていて知らず知らずに感覚として味わっているものなのかもしれない。
メキシコのルイス・バラガンの建物は原色に近いピンクや青や黄色を使っているのだけど、メキシコの空の色にとてもなじんでいて、派手なのだけど刺々しさなど感じない。配色のバランスが7対2.5対0.5のセオリー通りだからという人もいるけれど、バラガンの建物を日本に持ってきてもきっとなじまないだろう。イメージしてみても想像ができない。

北野武監督の映画の映像の配色を「キタノブルー」とヨーロッパで好評を得ていたのを記憶している。日本の海岸のさみしさが漂うような品のある青。日本色でいう浅黄色あたりの色かと勝手に思っているが、それも、日本の空気をはらんで表現できているものなのだろうと。

 

昔、カラーコーディネーターの勉強をしたことがあって、知識だけは少し残っている。ナチュラルハーモニーとコンプレックスハーモニーというのがある。ナチュラルは字のごとく自然に近い配色で、明るい色は黄色みが混じり、暗い色には青みが混じる。自然に降り注ぐ太陽の配色もそのようになっていることから、自然界に近づけた配色のことだ。逆にコンプレックスハーモニーは、あえて自然に反した配色で、複雑で意外性を楽しむような配色。ナチュラルハーモニーが落ち着いてるのに対して、コンプレックスハーモニーは意外性を楽しんでいる、アーティスティックな感じの雰囲気を演出できそれはそれでとても好きだ。

 

日本には、四季があり景色も季節ごとに様変わりする。春の新芽のいろ、梅雨の空、夏の青空と積乱雲と深い緑、秋の紅葉、冬の雪景色。色だけでなく、音や香り、空気の質感をも楽しむ日本の文化。日本人の繊細な感覚はこんなところから研ぎ澄まされているのだろう。

 

実は今見えている色。同じものを見ている隣人には違うように感じられているのでは?などと時々思う。隣の人と入れ替わることができないので、隣人が同じように感じているのかを確かめるすべもない。ゴッホは色盲だったので独特の配色になったとか?いや、見たものを見たまま再現しようとするのなら、普通の配色になってもおかしくない気がするが、それはもうゴッホにしかわからない話だ。

 

色には心理的な効果もある。暖色系は暖かく感じて寒色系は寒く感じるのは想像にたやすい。青は誠実さを感じさせ、時間の経過をゆっくりとさせ、精神を落ち着かせる。逆にオレンジは落ち着かず気がせくような効果があるり回転率が上がるとか?元気の出る色でもある。また、赤い下着は体温を高めることから皮膚でも色を感じるのではないかともいわれている。世界はまだまだ分からないことだらけだ。

 

私は、朝の散歩で見る朝焼けがすきだ。同じような風景はあってもきっと二度と同じ風景はない。自然が見せるグラデーションほど美しい「キセキ」はないと思っている。

 

仮想と現実

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2021.11.04 (木)

先日、とあるポットキャストで「プロセスエコノミー」の著者、尾原和啓さんの対談を聞いた。
尾原和啓さん,驚くのはその経歴。ググってみてください。
前作の「アフターデジタル」もベストセラーだったようだ。ここ数年、本を遠ざけていたのだけどその間に世の中は目覚ましく変化している様だ。

「プロセスエコノミー」

早速検索してみると、プライム会員はキンドルで無料でダウンロードできるようで、すぐさま読んでみた。
まだ初めの方だけだけども、なるほど読みやすい。
頭のいい人は、読者にも優しく書いてくれる(笑)
簡単に説明すると今は「良い物だけでは稼げない」時代ということ。
なるほど実感できる。いいもの作っても簡単にまねされてしまう。
いい物なのに売れないものもたくさんある。
たとえばファッション。手塩をかけて制作したものと同じくらい、ファストファッションは進化していてる。
トヨタとテスラもしかり。
反対に、売り方が上手で消費者の心に届くように発信して共感を得られれば売れる世の中になってきている。その作り手の熱意が伝われば、高額でも物は売れるのだ。
SNSで反響があるものはテキストがたくさん書かれているもののようだ。
(私は書けない。自戒の念をこめつつ)
価値はものではなく、物語に宿っているのだと。
事務所設立当初より、「物語が大切」と数名からアドバイスいただき、へたくそながらもプロフィールをせっせと作成したのを思い出す。今もその当時のままだけど(笑)
時代の流れが速くなった分、忘れ去られるのも早く、
物語を絶えず作ったり、掘り下げたり、発見したりしながら、発信していく作業が大切なのだろうな。
とは思いながら、なかなか苦手で、よいしょっと、という感じで重い腰を上げている。今(笑)
物語は古代より大切なものだった。(受け売りだけど。)
大衆先導にはなくてはならなく、国家形成?には必要不可欠だったとか。
現在でも私たちは都市伝説に振り回されてるし(笑)
何が都市伝説で何が真実なのかも、渦中にいては不明瞭で、きっと未来になって振り返ってわかるものなんだろうな~と感じている。
話は変わるが、先日フェイスブックの社名変更の動画を見た。(メタと変更)
これからは仮想空間に力を入れていくようだ。
仮想の世界では住空間も自分で自由に作られるようになるみたいで、皆さん自由に作られますよ~、ってお知らせしたい気分だった。
現実世界は、いろいろ縛りがあったりするけれど、仮想空間では自由に自分の世界を表現できる。
自己実現は仮想空間で!なんて、現実逃避したりして。
なんだか仮想と現実がまぜこぜな感じが、少し危うくも感じてしまう。仮想空間にもきっとキャッシュは発生して、お金も仮想通貨で、仮想と現実がごちゃ混ぜの生活で心は保てるのか?バブル世代で物欲にどっぷり浸った私には心配になる。
哲学と物理学が似ているという話を聞いた。
物を作る者は哲学を学ばないといけないとも聞く。
最近の物理学では、時間を含めた4次元を通り越して幾重にも次元が存在する、って言うのが定説だそうだ。仏教の教えにも似ているとか。
でも、私の頭のリソースでは全然追い付かず(笑)
映画「インターステラ」的な世界なのかと勝手に想像してみる。

インターステラ

 

私には、やっぱり4次元くらいがちょうどいい(笑)

 

物は残らないが情報は残ると誰かが言っていた。
気軽に発信できるこのご時世、ビックデーターがあるにせよ、どんな情報が残されるのか。未来の勝者の利害で削除されるていくのかもしれないけど。
将来、どんな物語となって語り継がれていくのか、時を超えて今を見てみたい。
時間を超えても、次元がいくつも存在するのであればどこのどの次元から見返すのかもわからないし、そんなことを想像するともう何が何だかかわからない。
やっぱり私の頭ではパンクしそうだ。